2008/04/23

ご支援のお願い

 
※5月12日に目標額を達成し、募金活動が終了しました。記事を見て、いろいろと声をかけてくださった方、募金をしてくださった方、ご協力ありがとうございました。その後の情報については「みどりちゃんを救う会」サイトでご覧ください。

知り合いからこんなチラシがまわってきた。元は小金井市の保育園に通っていたお子さんだという。 詳しい情報は支援ホームページをご参照ください。
http://www.midorichanhelp.com/index.html
4月25日に手術のために渡米することが決まったそうだが、病状はいまだに予断を許さず、といった様子である。うまくドナーが見つかって健康になることをお祈りすると共にこのページをご覧になった皆さんのご支援をお願いしたい。

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2008/04/21

自主上映企画

 市制50周年記念事業で私たちが上映する作品が変更になりそうである。「ぼくうみ」の年度内の自主上映がむずかしくなってきたためだ。原作者の山下さんに聞いたところ「間に合うかどうかは微妙・・・」とのお答え。現在「ぼくうみ」は出演者のオーディション中なんですね。撮影に入るのは7月から。天候の都合など場合によっては撮影は9月にずれ込むかもしれない・・・とのことで、制作自体は補助金の関係で20年度中に完成させなくてはいけないものの、作品の反響の大きさ次第では全国に公開したい、とのプロダクションサイドの意向があるようで、そうなった場合の自主上映できる時期はさらに先に延びてしまう という事情があるそうな。20年度中に間に合わないとするとするとどうしよう・・・。
 ということで「エイブル」3部作も大変魅力的なのですが・・・。今回は「自転車でいこう」という作品の上映の検討をはじめています。現在は制作会社と交渉中。あまり公開されていない映画なので、まずは作品を取り寄せて見てみようか、という段階。「ぼくうみ」のほうはどうするのだ?・・こちらは別の機会を作って必ず上映したいと思う。
 イベントの実行日もそろそろ決めたいし・・・。いろいろクリアすべき課題が具体的になってきたようである。

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2008/04/16

イマジン

 毎日夕方5時になると近所にある学校の建物のてっぺんからイマジンのメロディーが流れる。 これは防災同報無線という設備を使ったもので、本来は防災目的の緊急放送のためのもので市内各所の公共施設にも同じものがある。設備自体はずいぶん昔からあったのだが、ずっと前にメンテナンスのために試験放送をした時には「うるさい」との苦情が相次ぎあまり使われないでいた、という暗い過去を持っていることはあまり知られていないはずだ。なんせ火災出動の消防車のサイレンにも苦情が来る昨今、あまり大きな音は出せないでいたのかもしれないが、毎日、夕方の定時にメロディーを流すというアイディアによってこれが生まれ変わった。放送が始まった当初もイマジンのピアノだった。演奏は市内の中学生によるもので、以来数回曲目が変わり今年の4月から再びイマジンに変わった。前とはアレンジが違うので別のプレイヤーによるものだと思うのだが、これもいいなと思う。
 オリンピックを控えた某国の騒がしい様子が報道されるにつけ911テロ当時に盛んに流されたこの曲を思いおこしたりしている。

今日、こんなサイトを見つけた。
http://www.platon.co.jp/~nowhere/flash/john.html

どうということはなく、原曲と共に英語と日本語の歌詞が現れるだけなのだが、メロディーに乗せた歌詞をじっくり読み返した時、改めてこの曲の普遍性に気づかされる。
・・・。やっぱりジョンは偉大である。

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2008/04/11

入学式

4月8日に次男が通っている都立養護学校の小学部と中等部合同の入学式がおこなわれた。次男は4月から中学生である。朝から激しい雨と風。春の嵐だ。式に参列する保護者は基本的にはそれぞれの新入生の親なのだが、在校生の保護者の方が数名、激しい雨の中を参加してくれていた。顔見知りの方の顔を見つけるとやはり嬉しい。
 しかし、ここ小金井養護は中等部までしかない。高校は他の場所へ通学するからここに通学するのもあと3年間。ウチの息子は果たしてどこまで成長するやら。できれば留年してもかまわないのだが、そういうわけにもいかないらしい。
しかし、校長センセイが余談でこんなことを言っていた。「30年前の開校当時は定員は80名の設計だったが現在の在校生数は倍近い。要望があれば増築したいが工事中の不便を考えるとなかなか難しい。不便を乗り越える要望が出るかどうか・・」工事中の不便とは建替え期間中の仮設校舎での不便のことを言っていたのだが、すでに限界一杯の設計だから仮設校舎を同じ敷地内に建てることすら難しいだろう。そんなことを思いながら新しい中学1年生の教室へ移動してみて驚いた。もともと1つの教室だったところを可動式のパーティション(間仕切り)で仕切っている。声は筒抜けだし・・・。
あれで落ち着いて生活できるのだろうか。心配だ。
東京でオリンピック?いいだろう。有意義に開催すればいい。そのあとにスペシャルオリンピックスがあるからね。これも忘れないでいて欲しいものである。
ん?新銀行東京へ何億円追加融資するって? 勝手にしやがれと思う。
(当然障がい児も含まれるが)子ども達は将来の東京都民になる。もう少し投資しろよ!
子育て支援という発想が足らないのかな?
イシハラ君には。 。。
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2008/03/23

自治体の格差

普段あまり自分が住んでいる地域の自治体のサービスを他の自治体と比べるという発想はあまりないのだが、実は結構「差」がついていた・・・と思い知らされる話。
『障害を持つ中高生に放課後の居場所=東京都文京区 文京区(19万2700人)は2008年7月から、障害を持つ中学、高校生を対象に、放課後に過ごす場を提供する事業を始める』
社会福祉法人に、活動するための部屋の整備と運営を委託する。スタート時には1日当たり5人を限度に受け入れるが、利用状況に応じて拡充も検討する。同年度当初予算案に1900万円を計上した。 障害者福祉課によると、区では障害を持つ小学生を対象に6年生まで学童保育を実施しているが、中高生には放課後に活動する場がない。今回の事業には専門的な知識や経験が必要なため、区内で障害者の通所施設を運営している社会福祉法人に委託することにした。 同法人は施設の地下に30平方メートルの部屋を造る。物置やテーブルなどを置き、絵を描いたり折り紙を折ったりして過ごしてもらう。利用できるのは原則午後6時半まで。養護学校のバスが生徒を降ろす地点などまで車で迎えに行き、帰りは保護者に任せる。 同課は「障害のある子どもの介護は疲れるのが現実。保護者に一時的な休息を取ってもらう狙いもある」としている。
・・・以上の話は業界に詳しいワタクシの「戦友」からの情報でした。     (感謝・感謝!!)
私たちの住む小金井市の学童保育は一般の児童が小学3年生まで。障がい児は4年生までとなっている。(ちなみに、小金井市の学童保育の障がい児枠を小学4年生まで延長するきっかけを作った方もワタクシがよーく知っている方だ)
「彼の地」では、障がい児は6年生までが学童保育を利用できるということ。まずここが違うところだ。その上で新たに中学生、高校生の放課後活動の支援をするというのだ。それともう一つ、小金井市の場合、学童保育業務は障がい児枠を含め「児童青少年課」というところが受け持っているが、ここでは学童保育の障がい児支援を「障がい福祉課」でおこなっていることだ。縦割り行政と言われる仕組みの中で役所内での担当部署はどのように住み分けているのだろうか。必要となる経費面では、すでに「社福」が運営している障がい者施設の中で受け入れを始めるということで自治体の財政負担を最小に押えることを意識しているのか、と思うがこれも「利用状況に応じて拡充も検討」・・・要するに利用する生徒数が増えることも想定済み、ということなのだから・・・本当にうらやましいかぎり。
・・・いいなあ文京区。お金持ちー。でも、自治体がこういう新しい業務を立ち上げていく直接の動機はどこから来るのだろうか?要望を抱えた大勢の親達が強烈な運動をした?のだろうか。それとも自治体が住民のニーズを先取りしたのか?
最近のワタクシには、近所の公園の桜の花の開き具合とともに・・・そこのところが気になります。。
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2008/03/19

質問の回答

さて、傍聴した市議会での質問とそれに対する答弁の内容はどうだったのか実際のやり取りを紹介したいと思う。 
(内容は完全に正確ではないかもしれません)
(問) 心身障がい児、発達障がい児の早期発見・相談・療育の連携について
(答) 現在の業務は決して充分ではない。発達支援法に沿って対応していく。各部署の連携が必要。
(問) 子どもの発達が実感できる療育内容を求める。障がい児はどこの部署が主体となって受け入れるのか。子育て支援、子育て相談業務は障がいの有無に関わらずに受け入れるべき
(答) 障がい児の支援は子育て支援の一環でやっていく。
(問) 答申で指摘されたピノキオの課題の具体化と進捗状況について問う。(ピノキオの保護者からの聞き取り、児福審の会議録、巻末のアンケート結果から引用した障がいの症例の紹介とそれに伴う様々な事例を詳細に紹介)
(答) 答申で課題が指摘されているピノキオの事業内容は現在も検討中。区画整理事業計画が明らかになった時点で検討する。
(問) 移転について、利用者、関係者、専門家をふくめ、施設のあり方を検討しないか
(答) 区画整理事業計画が明らかになった時点で検討する。発達支援センターも検討。
(問) 「計画が明らか」とはどの時点をいうのか。ピノキオの方針を持って計画にあたるべき。     ピノキオと発達支援センター業務とは分けて考えるべき。施設の建替えのための施設検討委員会を立ち上げるべき。
(問)子ども発達支援センターの設置について市の見解は
(答) ピノキオの規模は現状と同じ。発達支援センター業務とピノキオは別に考える。
(問) 障がい児施策の基本計画が必要。ピノキオの運営にはコスト論を当てはめるべきではない。(答申の結論部分の引用)現在の業務や拡充策の検討を加えつつ公設公営で継続運営する・・・ 以上を踏まえて、施設検討委員会の設置について、市長の見解を求めたい。
(市長)サービスの低下は考えていない。充実させたい。限られた状況の中で充実策を検討する。
(子ども家庭部長)検討委については子ども家庭部でやっていきたい。
(問)サービスを低下させずに充実していただきたい。
・・・といった内容の質問と回答でした。質問は厳密に言うと4項目を区切っていたわけではなく、一連の発言の中で随時答弁を求める、というかたちでした。これらのやり取りの結果、部局の回答から明らかになったことを集約すると・・・
①障がい児の問題についての対応は子育て支援の立場で議論をすすめること→(障がいの認知が難しい時期の保護者支援のためには「障がい福祉」分野での支援よりも、一般的な育児相談の延長で支援したほうが保護者の心理的な負担を軽くすることが出来るのでは、という考え方に基づいたもの)
②施設の移転にあたっては検討委員会を設置すること→(児福審答申で提案されていたことを再確認) ③子ども発達センターは、「のびゆく 子どもプラン」などで総合的な施策を策定すること→(ピノキオをとりまく問題の解決には施設単独での検討ではなく、障がい福祉施策全体のバランスの中で検討するべき・・・という児福審答申を再確認したもの) という3点が明らかにされたことになる。他にも発達支援センター機能の検討とピノキオ業務とが別の問題だいうことが明確にされたことで「ピノキオ業務の拡充」の検討が「短絡的」に民間委託の検討に結びつくことがなくなる、ということも大きい。
また、市長は「自分も保護者に呼ばれるなどして実情の勉強をしたい」と言ってくれたが、これが1番大きな収穫だったのではないだろうか。こういうことが「議会が行政をチェックする」ということなのだろう。とにかく市議会や市長はピノキオや障がい児のことをもっとよく知って欲しい。そして施策を実行するためにふさわしい予算をつけるべきだと強く思う。 この分野は明らかに他市より劣っている。
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2008/03/14

市議会の傍聴

 3月のはじめに市議会の傍聴をした。ある市議会議員がピノキオに関する質問をおこなったからだ。事前に明らかにされた質問は4点                          ①心身障がい児、発達障がい児の早期発見、相談、療育訓練の連携について(現状と今後について)  ②06年3月の児福審答申で指摘されたピノキオ幼児園の課題の具体化と進捗状況について        
③ピノキオ幼児園の移転について、利用者、関係者、専門家を含め、施設のあり方を検討しないか                            
④子ども発達センターの設置について、市の見解を問う。・・・という内容だった。これについて昨年の12月に当の市議さんからピノキオの保護者に対し「お話を聞かせて欲しい」旨打診があり、保護者の代表数名が対応。その後、今年の2月に私たちのネットワークに「再び皆さんのお話を伺いたい」とのアプローチがあった。そこで現役の保護者、OBに声をかけて小規模な「ヒアリング」が実現した。ここには現役、OB含めて10名ほどの母親と父親が数名参加した。ピノキオの現役保護者達にとっては、市議会議員からの呼びかけに応えて思いを伝えるという初めての体験だったと思う。このようないきさつから議会傍聴に行ったのだ。この方がピノキオ関連の質問をしていたのは45分ほど。自分達の「肉声」がそのまま議会で紹介され、障がい児の子育ての実情の厳しさを市議会に伝えることが出来た。たぶん大多数の市議会議員はピノキオの事情を知らないはずだ。議場では私語が気になる議員さんがいたし、質問の内容がわからない議員さんもいたはずだ。しかし私たち障がい児の親がこのような機会を的確に捉えて「声を集め」障がい児の姿と親の思いを伝えることの大切さを再確認する感動的な出来事だった。